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SPC投稿小説
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銀姫月陰





 序章



 −1−

 冷たい雨が降っていた。
 雨は昨晩から、延々降りしきっていた。
 外は暗い。暗雲は空一面に厚く垂れ込め、到底朝とは思えない。南からの強風に、木々の梢はまさに引き裂かれんばかり。悲痛な叫びをあげては必死に耐えているようだった。
 鉄筋四階建ての校舎も例外ではない。
 窓ガラスはがたがたと音を立て、隙間風がごうごう唸る。
 窓際の生徒は、一様に不安げに外を見やっていた。
 それもそのはず、海上から大型の台風が刻々と接近しているのだ。
「そこ! 心配なのはわかりますが、授業に集中なさい」
 教師の叱咤が飛ぶ。
 幾人かははっとなって、教師の背後の黒板に注意を戻した。
 今は国語、漢文の授業の最中、教師は丁寧な文字で黒板に例文を書き記していく。
「ではこの文を――、そうですね、御影さん。訳してごらんなさい」
「はい」
 教師は室内に視線を巡らせ、最前列真ん中の少女に目を留めた。
 御影小姫。
 緑なす黒髪、白磁の肌。瞬きのごとに長い睫毛が揺れ、同性さえをも魅了する。
 成績優秀にして品行方正。才色兼備の誉れ高き令嬢。
この名門私立学園の中で、彼女はいかなる面においても頭抜けて際だっていた。ましてや、学園の現理事長は彼女の叔父。彼女に逆らえる者は存在しえなかった。否、人々の敬愛を一身に受けてやまなかった。
 小姫は室内から浴せられる数十の視線を静かに受け止め、そっと起立した。
「『――この先に梅の林がある。それまでの辛抱だ』 それを耳にしたところ、たちまち唾液が溢れ出てきた。おかげで、兵士たちは喉の渇きを癒すことができた」
 耳に心地よい軽やかな声だ。歌舞を嗜むだけあって、声の質すらも人並み外れる。彼女に声をかけられることは、一般生徒にとって大いなる僥倖だった。
 淀みなく、一呼吸で言い切って、小姫は教師に対し軽く頭を下げた。
「ええ、まったくその通り。結構です。御影さん、お座りなさい」
 教師は満足した様子で、大きく頷いた。
 小姫が正答しないことなどありえなかった。それは教師を含め誰もが承知している。彼女は家の家庭教師から、既に大学レベルの教育を施されていると聞く。飛び級の制度が日本にはないから、この場にいるに過ぎないのである。
「さて、次にあてる人には本文を読んでもらいましょうか――」
 役目を終えた小姫は、澄まし顔で教科書を眺める傍ら、家庭教師に与えられた問題集にとりかかる。
 不運にも彼女の次に指名を受けた者が、たどたどしく朗読しているのが聞こえた。
 その声をかき消すように、風雨はいよいよ激しさを増していった。

 −2−

「さすが、小姫様ね」
「ほんと。あの難しいのを、すらすら答えちゃうなんて」
「あたしなんか、古文と漢文の授業だけは指されたくないわ。さっぱりわからないんだもの」
 授業が終わり、開放感から教室内は華やいでいた。
 大多数の生徒には、古文漢文は鬼門である。古文はまだしも、難解な漢字の羅列である漢文は、見てるだけで頭が痛くなってくると嘆く者も多い。
「せめて、小姫様の半分でも頭が良ければねぇ」
「小姫様の爪の垢でも煎じて飲んだら? あ、小姫様の爪に垢なんかないわよね」
 笑われているのか誉められているのか。
 当の小姫はというと、黒板消しと格闘していた。当番でも委員でもないが、彼女の自発的な奉仕である。
 名は体を表すとはよく言ったもので、背の低い『小さな姫』では、爪先立ちになってもなかなか上の方まで手が届かない。手伝いの申し出にやんわりと拒絶の意志を示すところを見ると、むきになっているのだろう。或いは、自分でも無意識のうちに微かな劣等感を抱いているのかもしれない。
 微笑ましくも可笑しい光景に、くすくすと忍び笑いが絶えなかった。
「み、御影さん、お袖が……」
「え?」
 親衛隊(?)の一人が、勇気を出して声をかける。
 めざとく会話する機会を掴んだといっていい。