SP図書館

TOP

SPC投稿小説
Page:0002 
BACKPAGE NEXTPAGE


 振り上げられるナイフ――。
「いやああぁぁぁぁ!!!」

 甲高い声が、私の喉から迸っていた。はっと飛び起き、汗に濡れた全身を見て、やっと何が起こったのか認識する。
 夢だったのだ。私の怯えが見せた、馬鹿馬鹿しい悪夢。
 自分のあんまりな想像力に、乾いた声で私は笑った。お腹が痛くなるまで笑い続け――ぴたりと、それを止める。
 笑い飽きたからではなかった。私は感じていた。
 何かが、いる。私の背後に。誰もいないはずのこの部屋に。
 私は振り向く。
 あの瞳があった。歪んだ唇があった。
「逃げても無駄よ」
 私の声で、『彼女』は言う。その手に光る、鋭利なナイフ。『あの子』を刺したのと、同じ――。
「…………ひっ…………!?」
 悲鳴は喉の奥で堰き止められた。『彼女』は近付いてくる。私はじりじりと後退る。
私はなんとか、脱出方法を探っていた。幸い、『彼女』は部屋の出口とは反対側に立っていた。
 ゆっくりと立ち上がり、そしてぱっと踵を返す。
 私は逃げた。二階にある自室へ。
 足音が聞こえる。ごくゆっくりとした歩調なのに、一定の距離から。
 私は部屋に飛び込み、鍵をかける。ガチャリという重たい音。ほっと息をつく。
 しかしまだ、気配を感じる。おかしい、何故、まさか――。
「無駄だって言ったじゃない」
 声は確かに、背後から聞こえた。悲鳴の代わりに、全身がびくっと引きつる。
 私は振り向いた。誰もいない。
 だけど――きっと。『彼女』はもう、すぐ傍にいる。ここにはいられない。
私は部屋から出ようとした。そしてふと、足元に転がっている物に気付く。
カッターナイフであった。おそらく、美術の課題で使ったやつだ。私はそれをポケットに入れた。
いち、にの、さんで、私は鍵を開け、部屋を飛び出した。階段を駆け下り、廊下を突っ切り、靴を引っ掛ける。『彼女』の気配はまだしない。ただその冷たい声だけが、頭の中でこだまする。逃げても無駄よ、無駄よ、無駄よ…………
私は外へ出た。もう既に、夜の帳が下りている。私は闇の中を駆けた。
大通りの脇へ出た。騒音の響く道路は、少しだけ安心感を与えてくれた。
少しだけ息を整え、私はまた走り出す。

こつ こつ こつ こつ…………
恐怖はゆっくりと忍び寄って来た。
こつ こつ こつ こつ…………
騒音の直中に、はっきりと存在感を表して。
振り向かずには、いられなかった。
『む だ よ』
あの唇が、そう告げた。
私は、ある決意を固めた。すぐ側に、人気のない公園が見える。お誂え向きの場所だ。

公園で、私は立ち止まった。
「鬼ごっこは終わりなの?」
 表情のない声だった。私は振り向く。
 闇の中で、私たちは対峙した。空には満月が出ている。その光も、役に立ってはいないが。
「あなたは何?」
 私は訊ねた。
「私はあなた」
 『彼女』は答えた。
「あなたの目的は、何?」
「私の望みをかなえて欲しいの」
 『彼女』は一歩、私との距離を縮めた。その手に光る、鋭いナイフ。
「ねえ、お願い。……あなたの望みは、叶えてあげたじゃない」
 『あの子』を殺した事だ。
「私は……『あの子』の死なんて、望んでいないわ」
 私は告げた。声が震えている。
「嘘よ」
 『彼女』は笑った。あの顔で。
「私は知っているわ、あなたの憎しみを――紛れもなく、あれは殺意」
「うるさい!」
 私は怒鳴る。『彼女』は喋り続ける。劇の台本でも読んでいるかのように――でも表情だけは変えないで。
「ねえ、『あの子』が死んだ時、どう思ったの? 嬉しかった? それとも……悔しかったかしら? その手で殺せなかったことが」
「うるさい!! うるさいうるさいうるさい……!」
 彼女が言った事は、真実であった。今まで意識していなかった、心の一番奥のどす黒い部分。
 だからこそ、『彼女』が嫌いだった。『彼女』が怖かった。『彼女』が――憎かった。
「あんたなんか、あんたなんか……!」
 怒りと恐怖が、思考を奪っている。でも瞳だけは、冷静にすべてを見詰めていた。
 ポケットからカッターを取り出す。刃を最大まで出す。そして――。
 リアルな手応えを感じた。生温かいものが、カッターと手を濡らしていく。
「ああ、やっと思い出してくれたのね」
 私は『彼女』の顔を見た。