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SPC投稿小説
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「イレーネはいい娘です。大人しくて真面目で、残業になってもイヤな顔一つしない。悪い噂も聞きませんし..」
 四十代前半の運送部主任は神経質な微笑を浮かべた。すでに午後十一時を回っている。独身者用のこじんまりとした住居で寝る前のひとときを過ごしていた善良そうな男は、軍務尚書の懐刀と言われている男の突然の訪問を受けて、怯えるというよりは戸惑っているようだった。
 フェルナーは人好きする微笑を浮かべると、こんな時間に邪魔をして申し訳ないと謝ってから質問を始めた。
「クラレドン嬢の住所は?」
「会社から歩いて十五分ほどの、長期滞在者用のホテルに泊まっています。『ロンドン』っていうホテルだと思いますが」
「家族や恋人は?」
「そういう話は聞きません。契約社員なので」
「なるほどね。ところで、主任」
 フェルナーは言葉を改めた。
「はい」
「軍務省内で、そちらの社の食品は大変評判がいい。ご存知のように、我々は事務方の仕事が主なので、机に座っている時間が比較的に多いんですよ。よって嗜好品の消費量も多くなる。何が言いたいか、お分かりですか?」
「はい。我が社の、軍関係施設とのお取り引きは業務全体の三割近くになります」
 フェルナーは頷いた。
「私、個人としても、なじみの味を変更せざる得なくなるのは残念なことです」
 主任の顔から血の気が引いた。フェルナーは相手を安心させるように微笑んだ。
「あくまで仮定の話です」
「勿論、口外はしません。しかし、運送部以外となると..私は一介の主任ですよ」
「そちらは我々に任せて下さい。ただ何と言っても大切なのは現場の方々だ。一軍人の私が申し上げるのも僭越ですが、会社全体で、契約社員も含めて最も人の出入りが激しいのは運送部ですし、人事を担当されているのは他ならぬ、あなただ。現場を取り仕切る者の志こそが最も大切だと、軍務尚書閣下も常日頃から仰有っておられます」
 実際にはフェルナーの寡黙な上官は、そのようなことを一言も部下に言ったことはない。だが、言うとしたら似たような言葉になるだろうと、緻密なグスマンあたりが聞けばのけぞりそうな乱暴な論理の上に立って、フェルナーは話をまとめることにした。
「現場の采配を、卿にお任せしたい」
 フェルナーはすでに会社の上層部と話をつけていた。准将たる彼が、直接現場主任に念を押しているのは、地位の低い者を脅しつけて楽しむためではなかった。噂というものの出所をフェルナーは熟知しているのである。 
 運送部主任は、軍務省官房長官兼調査局長アントン・フェルナー准将直々の頼みを聞いて、感激の表情で断言した。
「勿論です。閣下」
 これで問題の一つは片づいたわけだ。
 フェルナーが車に戻った途端、待っていたように車内のテレビ電話が鳴った。スイッチを押すと、画面の向こうからシュルツ秘書官が敬礼した。
「軍務尚書閣下がお待ちです。至急お戻り下さい」
「お前も仕事が好きだな..」
 馬鹿じゃないのか、と言いたげなシュルツの視線をまともに受けてフェルナーは首をすくめた。
「では一つ頼まれてくれないか。『ロンドン』というホテルに一、二名の兵士を向かわせて、イレーネ・クラレドンという女性を連れて来てくれ。どこか空いている部屋に通して、お茶でも出して、俺が行くまで待たせといてくれ。失礼のないようにな」
 シュルツは、かすかに目を細めた。
「おい、誤解するな。これは公務だ」
「公務ですか」
「...」
 ご命令、承りましたとシュルツは短く言うと電話を切った。

「失礼します。閣下」
 フェルナーは軍務尚書パウル・フォン・オーベルシュタイン元帥の前に立った。
 無表情に書類を眺めていた元帥は、几帳面な筆跡で書類の末尾にサインを入れるとフェルナーに手渡した。
 正式書類に限らず、元帥の書く文章には崩した言葉や省略した表現が使われることは全くない。元帥が病的なほど言葉にこだわっていることに、フェルナーは以前から気がついていた。
 フェルナーは、旧知の筆跡鑑定家に元帥のサインを見せたことがある。名前の「パウル」の部分のみをコピーして手渡すと、鑑定家はじっくりと四つの文字を観察してから言った。
「男だね、これを書いたのは? 真面目で神経質。物の位置が変わっていたら、すぐに気がつくだろうな。芸術家だね」
「え?」
「季節の変わり目に詩を書くような、繊細で敏感な芸術家。同盟の詩人か? それとも画家かな?」
「なぜ、そう思う?」
「だって、ポールって同盟の名前だろう?」
 パウルという名前を同盟読みにするとポールとなるが、綴りは変わらない。帝国でも同盟でもありふれた名前だった。フェルナーは当時、同盟の情報を集めていたので、しいて鑑定家の誤解を正そうとは思わなかった。
「今夜、省内で事件があったそうだな」
 ひんやりとした声がフェルナーに問いかけた。