マクンバ
「太鼓だ。…また太鼓の音が聞こえる…」
私は両耳を押さえて立ち止まる。
ふいに脳裏に湧き上がる連続するタムタムの響き。
乾燥した皮を叩くリズムは、軽快な反面、その単調さは返って神経を逆なでする。
太鼓の音は、心臓の鼓動と、荒くなる呼吸と交じり合い、緩やかにビートを突き上げてゆく。
冷や汗が滴り落ち、私は大都市を見上げた。
「マクンバの呪いだ…」
ビルは消え、雑踏も、車の音も消えていた。
一瞬のうちに、アスファルトから羊歯が生え伸び、コンクリートの大都会はアフリカのジャングルに変わっている。
鬱蒼と茂る熱帯の巨木。
原色の鳥と原色の巨大な花。
野生獣の嬌声。
羊歯の葉陰から覗く光る瞳。
精霊ロアの呪文。
木に彫り付けられた悪霊の細長い顔。
私は逃げる。
逃げ場のない世界を。
すべては、あのアメリカ旅行から始まった。
§
マクンバとは、黒人宗教ブードーに伝わる呪殺の魔法だ。
文明国の普通の人間には、耳慣れぬ、そして興味ももたれぬ言葉だが、知る者は知っていよう。
私は文化人類学の研究者だ。
ある夏のこと、私は黒人宗教の研究のためアメリカ南部に留学した。
ニューオリンズ。
ミシシッピー河に育まれた貿易の町。
ビルの立ち並ぶ一見現代的な、それでいて十九世紀の面影を残すアメリカの都市だった。
音楽家には、ジャズとサッチモ(ルイ・アームストロング)の町。
アメリカ文学に興味のあるものなら、トルーマン・カポーティとテネシー・ウイリアムズの町と呼ぶのだろうか。
歴史家には、奴隷貿易による綿花プランテーションの町。奴隷解放以前、ここ南部にはアフリカからカリブ海を経由して膨大な数の黒人奴隷が運び込まれた。
そして私には、ブードーの町だった。
都市の持つ歴史の深みは、一過的な観光旅行者には見えないものがある。
そこには確かに人間の歴史が染み込んでいた。
機械文明のコンクリートの装飾は、しかし、その壁の微かな亀裂から、毛細管の血のように、ささやかだが、はっきりとした血の重みを流し出していた。
そこは、南部だった。
黒人の文化が染み込む都市なのだ。
深南部(ディープ・サウス)の土俗的な風土を色濃く残す町だった。
ビルの狭間の辻辻から響いてくる黒い大道芸人たちのトランペットの響きが、この町独特の雰囲気を作っていた。
デキシーランド・ジャズの明るい曲。
しかし、それは多くが黒人の弔いの歌だ。
ガラス張りの未来的コンクリートのビルに反響するその音楽は、私には都市への怨念の曲のように聞こえた。
§
旅行の楽しみと言えば、やはりその土地独特の食べ物や飲み物。また風土や風俗の観光と言う事になるだろうか。
少し長めの旅ならば、そこにロマンスが一つ追加される。
男には女。
女には男。
いつの時代でも、それは変わるまい。
南部に滞在中、私はある黒人女性と、寝室と夜を共有することになった。
もちろん娼婦などではない。
現地の同僚と言った女性だった。
彼女は大学図書館の司書であった。
差別社会の中で白人と共に仕事をする知識階級。
もちろん表向きには現代アメリカには人種差別など存在しない。
しかし、それは確かに残っているのだ。
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