見えない明日
「遅れてすみません!」
神林錬司が『千里堂』のガラス扉を開けたのは、昨日とほぼ同じ時刻だった。これまた昨日と同じく、走ってきたようで肩で呼吸をしている。
朝都子桜は接客カウンターに頬杖をついて、右手の人差し指と親指の間に摘んだ黒い小石のようなものを眺めていた。立って接客するためのカウンターなので、頬杖をついているというよりは半ば寝そべっているようにも見える。だらしないを通り越して奇妙な体勢だ。
子桜はガラス扉が開いたときに一瞬だけそっちに目を向けたが、入ってきたのが錬司だとわかると興味をなくしたように小石の方に視線を戻してしまった。
「……?」
錬司は訝しく思いながらも、時間を思い出して店の奥へ駆け込む。タイムカードの打刻音が聞こえた。
「なんですか、それ?」
店の奥から出てきた錬司は、子桜にタイムカードを差し出すのと一緒に聞いてみた。
「魔法の石」
子桜はタイムカードを受け取るのと一緒に答える。
「査定に入るわ。準備、お願い」
「何なんです、これ?」
地下室に続く階段を下りながら、錬司はさっきと同じ事をもう一度聞いた。錬司の右手には子桜から渡された黒い小石がある。角度を変えたり光に透かしてみたりしたが、どう見てもただの小石だ。
「ウランよ。ウラン235」
錬司は一瞬、子桜の言った意味がわからない。意味が脳に浸透すると同時に、手の中の小石を取り落としそうになった。「おわっ、とと」とお手玉をして、なんとか落とさずに手の中に収める。
「ウラン235って、核燃料とかに使われるやつじゃないですか!」
「そうよ」
「たしか、ヒ素と同じぐらい毒性があるって……」
手の平に置いた小石をまじまじと見る。
「大丈夫、触っただけで即死なんてことはないから」
子桜は一拍置いて、
「細胞膜と遺伝子構造を破壊されて徐々に死に至るだけよ」
笑顔で言った。
「まあそれに関しては大丈夫だから、安心して」
子桜が地下室のドアを開ける。安心なんて、できるわけない。
*
すぐに査定に入るのかと思いきや、子桜はアルミ缶の上に小石(ウラン235?)を置くように指示すると、錬司を下がらせた。
昨日査定を終えたばかりのベレッタを向け、一拍の躊躇もなく撃つ。
弾丸は寸分違わず小石の中央に命中し、缶を倒すことなく石だけを弾き飛ばした。
錬司には子桜の行動がよくわからない。よくわからないのは珍しいことではないので、子桜の行動の一連が終わるまでは待っている。それで理解できることもあるし、子桜が解説してくれる事もある。それでもわからなければ訊けばいい。
「……やっぱり、傷一つ付かないか」
子桜は小石を拾って表面を舐めるように眺めると、錬司の方に放った。受け取った錬司も同じように小石を眺める。
「ウランって硬いんですよね、劣化ウラン弾なんて使うぐらいですし」
「あれは硬さだけじゃなく、重さのせいもあるんだけどね。何にしても、9ミリが当たって傷一つ付かないほどじゃない」
子桜はベレッタから弾倉と薬室内の弾丸を抜くと、机に置く。それから錬司の方に向き直って、小石を受け取った。
「クロノリウム」
「黒海苔生む?」
「時間が逆行していたり停滞していたり、とにかく、本来の時間軸上に存在していない物の総称ね。モノポールやダークマターと同じく、この世に確率論的にしか存在していない物質。……もっとも、この世のすべての物は確率論的にしか存在していないとも言えるのだけど」
「はあ」
錬司は「はぁ」と「はあ?」の中間ぐらいの声を出した。突然話がSFしてしまって、訳がわからない。とりあえず、脳内で『黒海苔生む』を『クロノリウム』に変換し直すことには成功した。
「放射性物質は放射線を出しながら自己崩壊していく。これはわかるわよね?」
「ええ、それぐらいは」
「ところがこのウランは、放射線を吸収しながら――周囲から何も減っていないから吸収しながらっていうのは言葉の上でのことでしかないんだけど――自己構築していってるのよ」
「作用が逆転してる?」
「そういうこと。それを“そういう性質をもった新種の物質”ではなく“固有時間が逆流している”と考えた人がいたわけ」
「なんだか、わかったような、わからないような……」
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