巽の二――郷の南東方面、内側から二区画目を指す。聞くと吉郎は雲を大幅に失速、慣性に負けた瑞穂は目の前の背中に豪快に突っ伏す。赤らむ鼻を押さえ抗議する瑞穂。
「何なのよ急にッ」
「現場は巽だろ? なら慌てるこたぁない」
「へ?」
「もう青龍徒が出張ってるだろ」
四門徒は大きく四隊に分けられていて、青龍徒・白虎徒・朱雀徒・玄武徒のそれぞれが竜樹郷の東西南北を守護している。境界線上に鬼が現れたのであれば、二隊が共同であたる事になる。
「任せときゃいいさ、あっちの筆頭は俺よりはマメ……ぐえぇッ」
くびられたアヒルのような情けない声があがった。とぼけた事をほざく吉郎に、瑞穂が羽交い絞めの上で首を締めたのだ。
「バ・カ・な・こ・と・言っ・て・な・い・で・さっ・さ・と行・く・のッ、 あ・ン・た・朱・雀・徒・の・筆・頭・で・しょーッ!!」
ぎりりと容赦のない瑞穂の腕に、意識が凄い勢いで遠のいてゆく。目が眩んでちかちかしてきた。
「ぅわ、わがっだがらはだしてくで、しぬ……」
どうやら観念したらしいと見て、瑞穂は腕を緩める。その瞬間を逃さず、吉郎は金斗雲を全開急加速。支えを失っていた瑞穂はしがみつく間もなく雲から投げ出され、放物線を描き始める。
「………っきゃあああアアァぁぁぁぁッ………!?」
叫び声が一拍遅れたのは彼女が状況を把握するまでに生じた時間差のためである。それを耳にして吉郎は、悠然と転回・降下・急加速、自由落下中の瑞穂を絶妙のタイミングで雲に受け止めた。九死に一生を拾った思いの瑞穂はぜぇぜぇと荒い息をついている。
「ななななななにすんのよゥ、死ぬかと思ったじゃないッ」
元凶の悪童は憮然としている。
「おあいこだよ。俺も今、誰かさんに殺されそうだった」
「ぐッ……」
言葉が詰まる瑞穂を尻目に再び上昇・加速・なお加速、雲は竜樹郷上空を疾走する。腰には二本の細腕がしっかりとしがみついていた。
巽の二、青龍寄り。筆頭・冬風率いる青龍徒、そして近くから駆けつけた朱雀徒の一団は、虎頭人身の鬼を相手に苦戦を強いられていた。今まで様々な鬼を祓ってきたが虎の鬼など初めてのお目見えだった。立ち向かった者らの何人かが地面に伏している。治癒の心得がある者がすぐさま術を施すが、戦力は確実に削られつつあった。
当初多勢を頼んで押し切ろうとしたところ、敵は包囲を嫌って大路から細い通りに逃げ込んだ。急いで退路は塞がせたがもはや頭数は決め手にならない。挟み撃ちにしたいが並みの四門徒では近づきもできない。現在は実質上二対一、他は一定距離を離れて棍を向けるのみ。非常に厳しい状態である。巨体の虎は鋭い爪と牙と野生の膂力がそれだけでも脅威であるのに、しかも猫科の俊敏はそのままなのだ。一丈の高さから斧の如く振り下ろされる鬼の腕。霊木とはいえ木製の棍などで防ぎきれるものではなかった。
筆頭の額を冷たい汗がつたっていく。並び戦う弟分の顔も苦しげだ。状況を打破せねばならない。
「唯次、"蛇矛"を喚び出す。十秒だけ凌いでくれ」
「応!!」
冬風は戦闘から一時離脱、四神器のひとつを召喚すべく予備動作に入る。緩やかな呼吸に併せてじんじんと熱を持った両手の指先が黄金の光を纏うとその指先で空中に青龍を象る紋章を描く。図形は完成と共に目映い光を発し、その中心には棒状のシルエットが浮かびあがった。青龍徒筆頭のみが手にできる神器"青龍の蛇矛"である。冬風は蛇矛をしっかと握り戦線に復帰する。
「後ろに回る、巽大路まで押し戻すんだ」
宣言とともに跳躍、虎の肩口目がけ上段から大きく振り下ろす。一撃に怯む虎、すかさず下から突き上げる唯次。その隙に虎の背後に回り込む。虎は爪でそれを追うが、かえって体勢を崩してしまう。
「動ける奴は二手、半分は大路まで下がれ!」
筆頭の指示に青龍徒・朱雀徒は二手に分かれ、片方は大路への出口を封鎖。冬風と唯次は虎を二方から固め、虎の腕をを捌きつつじりじりと移動する。
囲みの外では棍を持たない者らが巽大路から民を避難させている。力の弱い妖が相手なら非戦闘要員たる民の助けを借りることもあるが、今回は相手が悪すぎる。少年達は被害の縮小にも気を遣わねばならなかった。
「おい朱雀徒ぉ!! お前らの大将は何してるんだ」
「うるさい、相手に集中しろぉッ」
緊張に耐えかねた青龍徒が未だ現れない朱雀の筆頭を罵ると、朱雀徒からも怒号が飛んだ。筆頭・冬風も焦りを感じていた。自分も唯次も消耗が激しいが細い通りでは決定打を放てない。もう少しで大路に出る、それまでみんな持ち堪えてくれ―――。
突如一団の頭上を、猛烈な風が黄金の残像を残して吹き抜けていった。戦闘に直接参加していない者達はしばし呆気にとられる。
「おい……今の、吉郎じゃなかったか?」
「あンにゃろ、通り越していっちまったぞッ」
「吉郎さ〜んッ!?」
「真剣にアホか奴はッ!!」
口々の悪態が飛び交う中、冬風だけが笑みを浮かべていた。
(バカが、来るのが遅いんだよ)
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