SP図書館

TOP

SPC投稿小説
Page:0002 
BACKPAGE NEXTPAGE



 燈子も何もかもを失った。恋人も。主君も。──ただ一人の妖怪(ばけもの)のために。
「……」
 近づいた物音が分からぬわけでもあるまいが、亜弥はこちらを向かない。
 キレイな横顔から伸びる手をそっと、同じ哀しみに暮れる赤子に絡める。
「……」
 耳元で囁く。
 大粒の涙が、また零れる。
「……亜弥、様」
 もう一度、呼びかける。
 今度は、彼女は振り返った。──燈子は、胸を突かれた。
 初めて、正面から受けた金の瞳には優しさが溢れ、一粒一粒がまるで波打ち際の光のように、澄みきっていた。
 砂糖菓子を散りばめて出来た彼女には、およそ、憎悪や怨恨といったものが当てはまらず、燈子は、自らの早とちりを恥じた。
「……あなたは、燈子、ね?」
 紡ぐ言葉もフッと消え入りそうな、危うさと無垢さがあり、燈子は知らず、膝を折り曲げ、王に対する敬礼をしていた。
 なにゆえ、自分の名を知っているのか、そんな疑問も、この人には無意味だった。
──知っていて、当然。神のような女性(ひと)だった。
「……私には、そんな事を、する必要は、ないのよ……」
 声は何処までも哀しげであり、それが神格を高め、至高の存在へと、導いていく。
「……亜弥様……」
 燈子は、捕らわれていた。瞳の中には、美しい、この女(ひと)だけ。
「……燈子、顔を上げて」
「はい……」
 いつの間にか、その手に抱かれ穏やかな寝息を立てる幼子を神は、差し出した。
「……この子を……」
 燈子は必然のように、その子を受け取った。──数分前まで、彼こそが優先すべき者だったのに、今は金の、彼女のために、燈子は、そうした。
 柔らかい、笑みが神の唇を彩る。その、一瞬に命を懸けても、いい。燈子は、喜びに打ち震えた。
「……お願いね……」
 亜弥は不意に優美に踵を返した。
 燈子は、その仕種に目を奪われながら、問い質す。
「……いずこへ……!?」
 亜弥は、笑った。
「……あの人の所へ……」
「ダメです!!……お戻り下さい!!」
 燈子は、必死に引き止める。亜弥は不幸へと走り出そうとしていた。──彼女の笑顔は、幸福になる者のそれではなかった。
 だが、燈子の懇願に彼女は、頷かなかった。引きずるローブの裾を床に擦り、歩を進める。
「お戻りくださいっ!!」
 遠くなるその背中に無駄と思いつつも燈子は叫んだ。
「亜弥様!!」
「亜弥様っっ!!」
「亜弥さまあああっっ!!」
 地についたまま離れない、その足に苛つきながら、再び泣き始めた沙羅弥に目もくれず、燈子は、消えた亜弥を声が嗄れるまで、呼び続けた。


「──沙羅弥っ!!」
 日に焼けた顔が、振り向く。
「よお、妃菜」
 人懐っこく、笑う。
 妃菜はそれが嬉しくて、小高い丘を走り抜けた苦しさなんて忘れて、「アハハッ」と笑い返してしまった。
「っだよ。何かおかしなトコでもあんのか?」
「ううんっ」
 隣に、座った。
 沙羅弥は、ちょっと変だな、とは思ったみたいだけど、何にも言わない。
 茶色の、触ると痛そうなつんつんとした髪を、風に任せるままにしてる。
 蒼い空。
 緑の葉っぱが、ぴゅ──っと飛んでいって、前に転がったり、横になったりしてる。
 おしりの所から、ぽかぽかとした春の陽気が、湧き出てくるみたいで、妃菜はとっても眠くなった。
「……オイ、妃菜」
 それなのに、沙羅弥が遮る。
「うにゅん。なぁに、沙羅弥」
 だから、ちょっぴり不機嫌にお返事をした。沙羅弥はでも、気づいてないみたいで、横を向いたまま、いつも腰に下げている剣を地面に、突き立てたりしてる。
「うにゅうん?……なあに?」
「あのさ……、俺さ、……旅に出ようと思うんだ」
「──たびぃ?……それって、おいしいの?」
「バ─カ」
 心底可笑しそうに沙羅弥は妃菜の頭を数度撫でた。
「ちげぇよ」
──また、横を向いてしまった。
 剣の稽古で太くなった腕から伸びるタコだらけのゴツゴツした大きい手が、妃菜の頭から、剣に戻る。
「ぶ─。何よぉ」